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05 September 2010
 
 
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    インドネシアにおける人類の歴史は非常に古い。
    バリに住みついた最初の民族は青銅器時代北方からカヌーで渡ってきたと考えられている。
    紀元前4世紀ごろには、ベトナム北部やタイ、中国から青銅器文化がジャワに流入。バリ島でもその影響を受け当時の遺跡からは青銅製や鉄製の装飾品が発見されている。
    9世紀ごろからはバリ島では王の事績や王と特定の村との間に取り決めなどを記した碑文が残されるようになる。当時マラッカ海峡を中心とする東南アジアの海域を舞台に、中国やインドと盛んに交易を行っていたスマトラやジャワの王国からもたらされていたものである。
    有名なプランバナン寺院は8世紀ごろの建造とされている。
    13世紀に東ジャワでマジャパイト王国が建国され、ヒンドゥーの黄金期を迎えるが、16世紀中頃マジャパイト王国はイスラム勢力により次第に崩壊して行く。そして多くの知識人、芸術家、詩人、貴族たちがバリに逃れ、バリで再びヒンドゥー王朝、ゲルゲル王朝を建国。
 
     
 
     
 
 
オランダによる植民地支配
 
 
    オランダの船団が最初にバリを訪れたのは1597年のこと。
    当時バリ島はゲルゲル王朝の最盛期であった。その後、ポルトガル、スペインなどもバリに進出。
    19世紀に東南アジアを舞台に繰り広げられた植民地争奪戦の中でオランダは次第にバリに手を伸ばし始める。1849年に、まずバリ島北岸のブレレン王家と西部のジュンブラナ王家を武力制圧。
    1906年バリ島南部のバドゥン王家とタバナン王家を、1908年にはクルンクン王家を全滅させ、バリ島全域がオランダの支配下になった。
 
     
 
     
 
     
インドネシア共和国の成立
     
 
    太平洋戦争中の日本軍による占領は戦闘による被害は少なかったものの、郡による過剰な物資の調達によってバリの人々は歴史始まって以来の欠乏生活を強いられてた。
    そして、1945年8月17日、終戦を迎えた2日後にスカルノ(後の初代大統領)がインドネシアの独立宣言をした。
    1956年にバリ島はインドネシア共和国の州として承認されたのである。
    1970年以降バリ島はインドネシア随一の国際的観光地として、外貨獲得を目的とした積極的な観光客の誘致政策がとられている。
    世界屈指のリゾート地として急成長を続けるバリ。
    島独自の自然と、長い歴史や文化またバリの人々の深く敬虔な信仰心が今もなお失われることなく深く根付いている。
 
     
 
     
 
バリの宗教
 
 
    インドネシアは87%の国民がイスラム教だが、バリ島の90%以上が
    バリ・ヒンドゥー教だ。
    バリの村々には、3つの寺院を所有している(プラ・ダラム、プラ・バレ・アグン、プラ・プセ・・・・プラは寺院の意)
    その数は島全体で3万以上あると言われるほど多い。
    バリ・ヒンドゥー寺院は人間と神の出会う神聖な場所。「オダラン」と呼ばれる寺院創設記念祭りには神々が神聖な山から降臨し歓迎の供え物で一杯になった祠の座に着くと考えられている。
     3大神であるヴィシュヌ神は「水の神」、ブラフマナ神は「火の神」、シヴァ神は「風の神、破壊の神」としてバリの人々には親しみ深い存在である。
    この他に、太陽の神スルヤ、戦いの神インドラ、大地の女神ウマ、農耕の神スリ、知識の女神サラスワティなどがある。これらの神々に対しては種々の儀礼で祈りが捧げられる。

 
     
 
     
 
バリの宗教
    インドネシアは87%の国民がイスラム教だが、バリ島の90%以上が
    バリ・ヒンドゥー教だ。
    バリの村々には、3つの寺院を所有している(プラ・ダラム、プラ・バレ・アグン、プラ・プセ・・・・プラは寺院の意)
    その数は島全体で3万以上あると言われるほど多い。
    バリ・ヒンドゥー寺院は人間と神の出会う神聖な場所。「オダラン」と呼ばれる寺院創設記念祭りには神々が神聖な山から降臨し歓迎の供え物で一杯になった祠の座に着くと考えられている。
     3大神であるヴィシュヌ神は「水の神」、ブラフマナ神は「火の神」、シヴァ神は「風の神、破壊の神」としてバリの人々には親しみ深い存在である。
    この他に、太陽の神スルヤ、戦いの神インドラ、大地の女神ウマ、農耕の神スリ、知識の女神サラスワティなどがある。これらの神々に対しては種々の儀礼で祈りが捧げられる。
 
 
 
     
バリ人の信仰
     
 
    バリの人々が住む領域は山と海に囲まれた小宇宙である。山からは生活の基盤となる水田を潤す水が流れてくる。
    海へは生活の汚れを含んだ水が流れて行き、火葬した灰も海へ流す。
    山の方角(カジャ)は神聖な場所であり、海の方角(クロッド)は汚れた場所である。
    人々の住む屋敷も村もそうした観念に基づいて設計されている。
    村の寺院や各屋敷の寺院は聖なる山アグン山(カジャ)の方角に、台所や墓場は海(クロッド)の方角に置かれている。
 
     
 
 
儀礼
 
 
    バリには独特の暦がある。
    35日を1ヶ月と数え6ヶ月210日を1年とする「ウク暦」
    月の満ち欠けをもとにした太陰暦、1ヶ月が30日12ヶ月で1年となる「サカ暦」
    ほとんどの寺院の創設記念日はウク暦をもとにしており、祭りは210日に1度催される。
    この他に、ブサキ寺院で10年に1度催されるパンチャ・ワリ・クラマ祭、
    100年に1度催されるエカ・ダサ・ルードラ祭といった大きな儀礼のある。
     人が生まれてから死ぬまでの儀礼には、誕生の汚れを祓う一連の儀式がある臍の緒がとれたときの ウパチャラ・ムブウ・ブウ
    生後12日 ウパチャラ・グロラス・ライナ
    生後42日 ウパチャラ・ムチョロン
    生後105日 ウパチャラ・ニャンブータン ・・・など
    門歯と犬歯を削る ウパチャラ・ポトン・ギギなどが主な儀礼。
 
     
 
 
主な祭日
 
 
    ・ニュピ・・・サカ暦の新年。悪霊が去るのを瞑想して待つ日。いかなる活動もしてはいけない。人々は家の外へ出ることも火を使うことも禁じられている。バリ島が静寂に包まれる日で観光客も例にもれずホテルから出ることを禁じられている。
    ・ サラスワティの日・・・ウク暦で知識の日。学問書、写本などが称えられ、供物が捧げられる。この日1日は本を読んだり、物を書いたりしてはしてはいけないことになっている。
    ・ バグルウェシの日・・・ウク暦で鉄の道具の日。車やバイク自転車、金属でできた物すべてに捧げ物をして清める日。
    ・ ガルンガンとクニンガン・・・ガルンガンは日本のお盆のように祖先の霊がこの世に戻ってくる日とされる。クニンガンはこの世に戻ってきていた祖先の霊を送り出す日。ガルンガンの10日後に行われる。
    これ以外の普通の日でも家の主婦は毎朝の料理が済んだ後、できたご飯とおかずなどを屋敷の寺院や祠、中庭、台所、門口、車など決まった所にお供えをするのを日課としている。
 
     
 
 
カースト
 
 
    バリ・ヒンドゥーは土着の宗教と深く結びついており、教育よりも儀式を尊重する点などインドのヒンドゥー教と比べてかなり違うものになっている。
    その1方、ヒンドゥー教の特色ともいえるカースト制は現在でも残っており、
    祭司を出すブラフマナ階層を最高位に、王族のサトゥリア層、地方貴族のウェシア層、一般のスードラ層からなる。上位3階層はまとめてトゥワンサと呼ばれ人口の10%を占めている。
    また。インドのようにカーストによって職業が決められることはなく、異なるカースト同士の結婚も認められている。
 
 
 
     

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